20230213 NO.2
◎東北地方行政視察
コロナ禍がだいぶん落ち着いてきて、ずいぶんと久しぶりに行政視察をさせていただいた。その概要を報告する。
〇1月18日(水) 山形県鶴岡市立加茂水族館
・水族館の略歴
鶴岡市立加茂水族館は山形県内唯一の水族館であり、その歴史は古く、1930年(昭和5年)に地元湯野浜温泉旅館等の有志によって設立された。戦時中にいったん廃止されていたが1956年(昭和31年)に鶴岡市立の水族館として再開館されている。
その後、1964年(昭和39年)に元の場所から500m西によった現在地に新築移転され、さらに、1967年(昭和42年)には、湯野浜温泉一帯の観光開発を目指す第三セクター観光公社に売り渡され「庄内浜加茂水族館」に改称されたものの、公社の経営破たんにより1971年(昭和46年)末には、従業員全員解雇という事態におちいってしまった。
それでも、自主的に残った元従業員4名が身銭を切りながら生き物の世話を続けたことから、翌1972年(昭和47年)に、地元出身者が経営する東京の商事会社が経営を引き継いで、その後長期に及ぶ入館者数低迷時代を何とか持ちこたえることができた。
クラゲ展示によって入館者数が増加傾向になった2002年(平成14年)に、市が買い戻して35年ぶりに「鶴岡市立加茂水族館」が復活し、2014年(平成26年)には、延床面積が2.5倍となる新館を建設開館し、愛称「クラゲドリーム館」として現在に至っている。
photo-3 クラゲドリームシアター;直径5mのクラゲ水槽
・水族館運営状況等
水族館入館者数は、第三セクター時の1968年に過去最高の21万7372人を記録した後、多少の上下はあるものの右肩下がりが続いて、1997年度(平成9年度)には過去最低の9万2183人にまで落ち込んでしまった。この間何もしなかったわけではなく、必死になって考えて、ペンギンの大群展示などの構想を思いついてはみたが、どれも、どこにでもある内容で成功に結び付くことはなかった。特に、その当時人気が高く成功事例が多いラッコの展示を、多額の費用をかけて行ったが、かえって負債を増やす結果になってしまった。
どん底の1997年にサンゴの展示水槽で偶然クラゲの幼生が発生するのを発見、目の当たりにしたのをきっかけにクラゲの研究に取り組み、クラゲに特化した展示を開始することになった。水族館の目の前の海で採取したクラゲを既存の展示水槽に入れると1週間程度しか生きない。このため、当時副館長で現館長の奥泉氏が一生懸命工夫し、クラゲを継続飼育・展示できる水槽を作り上げた。この水槽は安価で製作可能であり、特許も取らずにノウハウをオープンに伝授したことから、今や全世界に広がっている。
クラゲ水槽ができたことによってクラゲの生態研究も進み、2000年(平成12年)には、クラゲ展示室「クラネタリウム」を開設し、クラゲ展示日本一(12種以上)を達成することができた。さらに、市立水族館になってからの2005年(平成17年)にはクラゲ展示世界一(20種以上)を達成し、2008年(平成20年)に動物園・水族館協会最高賞の「古賀賞」を受賞するなど、展示や研究の取り組みが高評価されて、翌2009年には入場者数も過去最高を記録するまでに成長している。
クラゲに特化した展示を開始するにあたり、1998年に研究費として鶴岡市から初めての補助金160万円の交付を受け、翌1999年には人件費として350万円、2000〜01年には同じく381万円を交付されている。市立水族館になってからは、(財)鶴岡開発公社を組織し、指定管理者として管理運営を行っている。指定管理費は2002〜04年が年間600万円であったが、この間に1,000万円を市に寄付するとともに、2005年の指定管理費は500万円に減額し、2006年以降は指定管理費を打ち切っている。
クラゲ特科展示を始めたことで風前の灯火経営だったものが優良経営に転じたのであるが、その背景には飼育・展示に対する努力があるのはもちろんのこと、お土産品、グッズ開発、クラゲの食材化、レストランの充実、子供学集会開催など多方面にわたる取り組みが功を奏している。
ここまでは、旧館での運営状況であり、大変素晴らしいと感じるが、2014年の新館「クラゲドリーム館」がオープンしてからは、さらに飛躍して驚愕の状況になっている。
2014年(平成26年)6月1日新館開業からの年間入場者数を鶴岡市は30万人、館長は50万人と予想していたところ、その一年間は83万5796人が訪れて、それ以降も年間60万人程度を記録している。余剰金は水族館整備基金として積み立てられて、現在約13億円にまで達していると言う。2025年にはクラゲ展示研究棟の増築が予定されており、100種類以上の展示が可能になる。
もともと8〜9名であった館の運営スタッフは現在16名。今年2名追加される予定で、ほかにショップやレストラン従事者等を加えると総勢40名くらいが働いている。
これほどにまで成功した要因(どうしてクラゲに特化できたのか)について奥泉館長は ・小さな水族館であったこと ・貧乏であったこと ・田舎であったこと ・古かったこと を挙げている。確かに、そういった不利な条件下であったからこそ探求心も湧き、努力されたのであろうけれど、身銭を切ってまで水族館を支えた4名の方から受け継がれた熱意が根底にあると感じさせられた。
今治市にも水族館をという考えではなく、まちづくりに必要なものを学ばせていただき、とても実になる視察ができた。
photo-4 多数の小水槽に多種のクラゲ展示
photo-5 優雅に泳ぐインドネシアシーネットル
〇1月19日(木) オガールプロジェクト 岩手県紫波町
オガールプロジェクトは、JR東北本線の紫波中央駅前都市整備事業の名称であり、公民連携(PPP‐public private partnership)の手法を全国に先駆けて導入、成功し、全国的な注目を集めている。
名称の「オガール」とは、「成長」を意味する紫波の方言「おがる」と「駅」を意味するフランス語「Gare(ガール)」を組み合わせた造語であり、この駅前を紫波町の未来を創造する出発駅として町が持続的に成長していくことの願いが込められている。
このプロジェクトエリアは周囲を都市基盤整備公団が開発した住宅団地に囲まれており、プロジェクトが開始されるまで、このエリア10.7haの町有地だけがぽっかりと空いた荒地状態で取り残されていた。平成21年3月に、住民や民間企業の意見をもとにした紫波町公民連携基本計画が策定、議決され、オガールプロジェクトが開始された。
本プロジェクトは、平成29年のオガール保育所開所でハード整備はほぼ完了した状況になっており、主だったものを完成順にその概要、注目点を挙げてみる。
photo-6 オガールプロジェクト配置図(施設パンフより)
・岩手県フットボールセンター
平成23年4月Open 天然芝JFA公認サッカーコート1面 事業主体;(益社)岩手県サッカー協会 土地;賃貸借 PPP;RFQ(Request for Quotation コスト面の提案) RFP(Request for Proposal 機能、効能面の提案)
・オガールプラザ
平成24年6月OP 官民複合施設 公共;図書館、地域交流センター、子育て応援センター 民間;産直売場、クリニック、カフェ、居酒屋、学習塾など 土地;事業用定期借地権設定 PPP;RFQ、RFP
・オガールタウン日詰二十一区
平成25年10月分譲開始 建築条件付分譲宅地57区画 町内13社を指定
・エネルギーステーション
平成26年6月事業開始 オガールタウン、役場、保育所等に熱供給する施設 事業主体;紫波グリーンエネルギー(株) 土地;事業用定期借地権設定 随意契約
・オガールベース
平成26年7月Open 民間複合施設 ビジネスホテル、バレーボール専用体育館 入居テナント(コンビニ、薬局、飲食店など) 土地;事業用定期借地権設定 事業者公募
体育館は日本初のバレーボール専用であり、フランス製国際基準の床材を使用している。全日本クラスの合宿にも使われる。
・紫波町役場庁舎
平成27年5月Open 事業主体;紫波シティホール(株) PFI(Private Finance Initiative 民主導の公共サービス提供 建設、管理)の内BTO(Build Transfer and Operate)方式を使う
BTO;民の施設整備直後に官所有に移管、運営管理は民が行う 木造3階建て(国内最大級の木造庁舎) すべて町産材使用
・オガールセンター
平成28年12月Open 官民複合施設 公共;紫波町こどもセンター 民間;小児科と病児保育ルーム、アウトドアショップ、ベーカリー、トレーニングジム、美容室など 土地;定期借地権設定 PPP;RFQ、RFP
・オガール保育園
平成29年4月Open 民節民営の保育所 八王子の社会福祉法人 土地;事業用定期借地権設定
photo-7 (施設パンフより)
photo-8 (施設パンフより)
紫波町は、岩手県の中央部にある町で、県都盛岡市と空港のある花巻市の中間に位置し、幹線道路が南北に走り、高速インター、3つのJR駅があるなど交通の便に恵まれている。リンゴ、ブドウなどの果樹栽培やもち米生産の農業が盛んな地域の中に、近隣都市のベッドタウンの住宅地も広がっている。
オガールのエリアは、そんな紫波町の中心部にあり、開発テーマの一つ「優れたデザイン」の建物群が、ゆとりあるオープンスペースにゆったりと立ち並び、このエリアの周辺地と合わさって、もう一つのテーマ「農村(田園)と都市(街)が共生するまち」が出来上がった。相乗効果で周辺地域への民間投資が誘発され、また、「行ってみたい、住んでみたい」の声とともに不動産価値が向上し、人口も増加している。今後も、ますます注目を集めることが予想されるプロジェクトであった。
〇1月20日(金) 久慈国家石油備蓄基地関連施設 岩手県久慈市
菊間基地と同じ地下岩盤タンク貯蔵方式の久慈国家石油備蓄基地は、2011年3月の東日本大震災大津波で、地上部分の施設が壊滅的な被害を受けた。我々は、被災後ちょうど半年の8月11日にここを訪れて、その状況を目の当たりにした経験を持っている。
3.11地震発生直後に基地職員は、基幹設備の地下へ通じるサービストンネル入口扉を、非常用電源を使って閉じてから全員が高台に避難した。その直後、大津波に襲われて地上設備は壊滅状態になったが、入口扉とその前面にあった水族館・石油文化ホール管理棟の建物が防御の役割を果たして基幹施設は守られ、また、人的被害もゼロであった。津波によって非常用の外部電源も遮断されてしまったが、関連会社が関西方面で確保した大型発電機が届けられて、また、石油を岩盤タンクに閉じ込めておくために必要な大量の水も、内陸の谷水で代用するなどして急場を乗り切っていた。
以上は、前回に説明を受けたことであるが、今回、あらためて大災害からの復旧、復興状態を視ることで、今治市に立地する同方式の菊間地下石油備蓄基地、波方地下石油ガス備蓄基地の防災上の安心感を得るとともに、日本の底力を感じることができた。
・石油備蓄基地の復旧、復興等
東日本大震災の大津波被災後、3年間にわたり地上設備復旧工事と津波対策工事が行われ、平成26年4月に完成している。
地上設備の復旧は、被災前にあったものをほぼ同じ位置に作っていくが、形状を津波に流されにくいように変更するなどして、対応している。また、地下岩盤タンクに通じるサービストンネルは、津波が来ない内陸側からも出入りできるように延長工事が行われ、被災時に苦労した非常用電源設備と岩盤タンク用の給水設備については、これも津波の影響を受けない高台に新しく整備された。
復旧事業費は総額約350億円とのことで、桁違いにも感じるが、これも致し方がない。
・石油文化ホール、久慈地下水族科学館
石油文化ホールは、石油国家石油備蓄の仕組みや必要性などを一般にPRするために備蓄会社が建設し、久慈地下水族科学館は愛称を「もぐらんぴあ」という水族館で、備蓄基地のイメージアップや地域の観光振興目的で久慈市が建設した。両施設の管理棟は一体の建物で、上述のようにサービストンネル入口に位置している。
この管理棟も大津波によって全壊し、その後の災害復旧事業によって2016年(平成28年)に再建・再開された。1Fは受付、産地直売施設、2Fは石油インフォメーションシアターがあるホール、3Fは防災展示室、4Fは「さかなクン」のコーナーもある企画展示室になっている。
両施設ともメイン設備は石油備蓄のサービストンネル内にあり、地下空間が活用されている。石油文化ホールには、世界の石油の流れ、国内石油備蓄の状況、地下備蓄の原理や実際の施工状況などが展示されており、この基地建設に使用された岩盤トンネル掘削用ジャンボドリル機の実物展示もある。
photo-9 地下トンネル内の石油備蓄PR展示
photo-10 天井はトンネル工事完成時のまま
「もぐらんぴあ」は日本唯一の地下水族館というのが売りで、被災前から「さかなクン」がバックアップするとともに、NHK連ドラ「あまちゃん」で取り上げられた「南部もぐり」や「北限の海女」が水槽の中で実演するなど、話題が多く、結構にぎわっている。どちらかといえば小規模な水族館ではあるが、SNSの書き込みを見ても高評価を受けており、遠方からの入館者も多数ある。
photo-11 ここから展示水槽
photo-12 もぐり、海女が実演するトンネル水槽
久慈市が建設したといっても、おそらく石油貯蔵施設立地対策交付金が使われているだろうし、災害復旧費用も上述の350億円の内数だそうで、市の負担はほとんどないと思われる。水族館の入館数、売上、維持管理費など経営状況を質問したかったが、久慈市は、まだ視察を受け入れておらず、不明のままで終わってしまった。
今回、2カ所の水族館を視ることになったが、設置、管理とも対極のものであった。上述したように、今治市にも水族館をという考えはないが、対極を比較することによって、新たな考えが浮かんでくるように感じることができた。
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