20200227 NO.1
◎パナマ共和国
パナマ運河で有名なパナマ共和国。中南米諸国の一つに位置づけられているが、厳密にいうと、この国の中央部に位置するパナマ運河を境界にして北米大陸と南米大陸とに区分されている。

パナマ共和国は南北方向に細長いイメージであるが、実際は、カリブ海の南端に面する東西方向に細長い国である。北海道より少し小さい国土に400万人余りが暮らしている。首都はパナマCityで、写真のとおり高層ビルが林立する中米有数の世界都市・金融センターになっている。

photo-1   パナマCity
photo-2   パナマの夜明け ホテルの窓越し撮影

パナマ市は、今治市の海外姉妹都市の一つで、昭和52年3月2日に提携された。日本国内の外航船舶の40%以上を今治船主が保有し、その6割程度がパナマに船籍を置いている。

政治的には、5年1期に限定された大統領制を敷いており、ちょっと変わっているのは、大統領が変われば行政庁の役人も総替えになる。この7月から新しい大統領が就任したので、駐日大使も交代し、12月にカルロス・ペレ新大使が今治市及び市内の海運会社を表敬訪問した。

その後、東京オリンピック・パラリンピックのパナマ共和国のホストタウンに今治市が認定されていること。上記のように、パナマの体制が新しくなったこと。パナマCityが建設されてから500周年を迎えたことなどがあり、パナマ市長から招待状を受け取り、菅市長とともに今治市議会議長としてパナマを訪問することになった。

1月26日のお昼前に今治を出発し、松山空港⇒羽田空港⇒ニューヨークJFK空港⇒パナマ空港と乗り継いで、現地時間の1月27日22時ころにパナマCityのホテルに入ることができた。日本とパナマの時差は14時間。結局、まる2日間の路程であった。

パナマCityのホテルには3連泊し、現地時間1月30日18時20分発の飛行機で帰路についたが、この間、日本大使館、パナマ大統領府、オリンピック委員会会長、観光庁長官、海事庁長官、運河庁長官を表敬訪問した。

メインであるパナマ市長表敬では、引き続いてレセプションが行われ政府関係者、スポーツ関係者、海運関連の財界のほか、過去の駐日パナマ大使や5月に今治で交流コンサートを開いた人気歌手のパトリシアさんまでも参加して、盛大に歓迎を受けた。日本側からも我々のほか、大使館員、JICAパナマ駐在の方なども出席した。

開会にあたっては、互いの市長が挨拶し、タオルデザインコンテストの表彰式につづいて乾杯となった。面白いことは、乾杯はシャンパンであったが、その後はコーラなどのノンアルコールドリンクに軽食で、また、閉会にあたっての締めの挨拶はなくて、パナマ市長も含めて、皆がそれぞれ適当に帰っていくのである。あとで聞いたことだが、待ち合わせの時間も適当なもので、約束時間ちょうどに現れることなどほとんどないとのこと。ところ変わればいろいろあるものだ。

photo-3   日本大使館
photo-4   海側から見たパナマ旧市街

パナマ大統領府やレセプション会場の市迎賓館などは、伝統的建物群が密集し世界文化遺産に登録されている旧市街地にある。旧市街地内では曲がりくねった狭い道路に駐車の列。ちょっと広いところでは両側駐車で、その間を縫いながら走行していく。交差点のほとんどには信号機がなく、クラクションを鳴らしながら突っ込んだ者の勝ちといった状況。

慢性的な渋滞を避けるため、新しい高層ビルが立ち並ぶ新市街地ができ、旧市街地を迂回する海上道路が整備されている。

photo-5   海上迂回道路
photo-6   海沿いに並ぶ土産物露店

パナマ共和国は、世界で一番古くから台湾と国交を継続していたが、前政権時代の2017年6月に断交し、中華人民共和国と国交を樹立した。国交を結ぶまでもなく中国企業の進出は著しくて、交通の要衝であるこの地を放っておくわけがない。現コルティソ政権では極端な中国寄り政策を見直す動きがあるものの、その影響を排除するようなものになってはいない。

強大になった経済力をバックにした、中国の発展途上国に対する外交進出はすさまじいものがあり、放っておくと日本の国益を損なうことになりかねない。大使館やJICAの活動、民間企業の経済交流に加えて、今回のような自治体間の国際交流も大切であり、今後とも姉妹都市交流を発展的に続けていくことの必要性を強く感じさせられた。

photo-7   City中心部の公園
photo-8   大平正芳元総理の胸像

現地に行って初めて知ったことであるが、パナマCity中心部の公園に、香川県出身の大平正芳元総理の胸像がある。パナマ運河の新運河建設に尽力したことを高く評価されて、現役総理として亡くなられた翌年・昭和56年4月に除幕されたそうである。同時に、パナマ市内繁華街の道路に「大平通り」の名がつけられた。現日本大使館前道路


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