20110814 NO.1
◎東北地方被災地
 8月9〜11日、大震災の被災地を視察した。
 当初、自分達だけで現状視察するつもりであったが、ちょっとした縁で仙台市役所に招待され、被災状況などの説明を受けることができた。仙台市では、すでに被災地の片付けがほぼ終わっており、分別して仮置き場に野積みされている。ただ、報道で知らされるのは津波の被災地のことばかりであるが、市内では住宅団地などが大きな地震被害を受けており、こちらの方はほとんど手つかず状態にある。やはり、広範囲に被災しているので国の助成を求めたいが、全く目処が立っていない。
photo-1  片付けられた被災地、海岸の松林
photo-2  砂浜の瓦礫処理も、もう少しになっている。

 仙台からレンタカーで、松島、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田と海岸線を回った。松島では、海水面が上がって浸水したそうだが、護岸の一部に痕跡が見られるものの、すでに平常を取り戻していた。多くの島々が天然の防波堤となり、被害を最小限にくい止めたようだ。
 石巻へは、山の側から入った。何の被害もないような市街地が、海岸近くで一変し、多くの船が家屋の間に打ち上げられている。外海に面した地区では、家屋がぽつぽつと残ってはいるものの壊滅状態であった。瓦礫がうずたかく積み上げられている。
photo-3  外海に面した地区、火災も起きていた。
photo-4  瓦礫の山

 つづいて、南三陸町。ここも山側から入ったが、石巻と違う細い谷あいの地形で、こんなところまで!と思えるような位置まで津波の被害を受け、壊滅状態で、町全部がなくなっていた。
photo-5  JR気仙沼線 津波到達点では杉が枯れている。
photo-6  南三陸防災対策庁舎

 気仙沼へは海岸沿いに入った。比較的多くの建物が残っているが、どれも被災しているようで、取り壊しの作業が続いていた。気仙沼は地盤沈下が激しく、水産物を荷揚げする岸壁や中心市街地の道路などが水没している。次代の津波を考慮しなくても、町全体を嵩上げする必要がある。復興復旧はまだまだの印象を受けた。
photo-7  被災家屋の解体作業中
photo-8  街の中心部 水溜りは海水面
photo-9  水没した荷揚げ岸壁
photo-10  メイン道路は砕石で嵩上げされている。

 ここから岩手県。陸前高田へも海岸沿いに入った。この町は、津波で建物がドミノ倒しのように破壊されていく様子が報道されたが、町が完全になくなってしまっている。2万人を超える人々が暮らしていた町が消滅している。言葉に表せない衝撃であった。
photo-11  この画面いっぱい建物があったはず
photo-12  陸前高田市仮庁舎

 最終日には、久慈市にある地下石油備蓄基地を視察した。久慈市は岩手県北部の海岸線に位置し、今治市菊間と同じ地下岩盤タンク方式の国家石油備蓄基地がある。その備蓄基地が被災し、地上設備が壊滅しているというのであるから、菊間のことや、同じ方式でLPGを備蓄する波方のことを考えるうえで、どうしても視ておかなければならない。
 久慈市は、震源からかなり北に位置することから、津波は南東の方向から押し寄せている。その津波が基地北側の岬の山肌に打ちつけ、跳ね返ったものが基地を襲っている。6メートル土盛りされた上に立つ管理棟の2階まで飲み込まれた。さまざまな設備はそれより低い位置にあり、すべて津波が押し寄せてきた向きになぎ倒された。
 普段から、避難訓練を徹底していたので、人的被害は免れている。地震直後に外部電力が喪失されたが、自家発電によって地下タンク入り口扉を閉めることができて、根幹施設も無事であった。その後、津波で発電設備も破壊されて、現在も、リースの大型発電機で対応している。岩盤タンクは水封方式で、このための清水供給が必要であるが、谷あいの流水を引っ張ってきて対応している。
 南海地震などで電源が喪失された場合、菊間はダムから水を引けるが、海水淡水化の波方基地は対策を考えなくてはならない。
photo-13  被災直後の写真と現状を見比べる
photo-14  地下タンク入り口。この前面に水族館があり、配管が無事であった


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